『定時総会』 神正人
5月29日(水)
昨日、一般社団法人 北海道中小企業家同友会の第45回定時総会が行われました。
全道12支部から189名の代議員が集まり、活動報告、活動方針、役員の選出等が滞りなく行われました。
同会は179市町村中142市町村の5,619社の経営者が
「良い会社をつくろう」「良い経営者になろう」「良い経営環境をつくろう」
の三つの目的のもと日々学んでいます。
私も理事となり気が引き締まる思いです。
5月29日(水)
昨日、一般社団法人 北海道中小企業家同友会の第45回定時総会が行われました。
全道12支部から189名の代議員が集まり、活動報告、活動方針、役員の選出等が滞りなく行われました。
同会は179市町村中142市町村の5,619社の経営者が
「良い会社をつくろう」「良い経営者になろう」「良い経営環境をつくろう」
の三つの目的のもと日々学んでいます。
私も理事となり気が引き締まる思いです。
5月27日(月)
昨日、新住協(新木造住宅研究協議会)の立ち上げから尽力された室蘭工大の鎌田教授の大学退官記念コンペが行われました。
全国総会の翌日と言うことで全国各地から34名の参加です。
天候に恵まれなかった5月でしたが、全国から参加してくれた人達の事を考えると昨日は良い天候で一安心しました。
私も青森、山形、東京の方たちと楽しいプレーをすることが出来ました。
5月18日(土)
中山峠から眺める『羊蹄山』は正に蝦夷富士!
標高1,898mの成層火山で日本百名山に選定されている。
見ての通りに富士山に良く似た整った姿が素晴らしい!
4月29日(月)
2年前の東日本大震災後、ゴルフをする気になれなくなり・・・。
あの衝撃的な画像、そして被災地を視察に行った時、言葉を失ってしまった程の光景。
昨年は1回の練習と最低限のコンペとプライベートのみのゴルフ。
昨日、知人からストレスが溜まってるのでは?との指摘。
心のバランスを保つ為、今年は昨年より一歩ゴルフを(笑)
そして今日は今年初の練習場へ。
5年5ヶ月お世話になった相棒! SRIXON I-701Tour。
もともと、ハードなクラブの為、練習不足と年齢的にもきつくなってる事と相当な練習をしないと使いこなせないだろうとの判断で。
このままではストレスの貯まるゴルフになるのではと山下和宏プロと同じSRIXONのZ-525に変更。
初打ちをしてみたが重心が高いI-701Tourより重心は低く、ミドルアイアン以上にはソールのトゥ側にタングステンニッケルウエイトも埋め込まれ、格段に楽に打てるのにはびっくり。
ヘッドも小ぶりで顔も似ていて、思っていた以上に違和感なし。
只、打感はI-701Tourには及ばず、しかしながらボールは楽に上がり、飛距離もUP、ミドルアイアンでも思っている以上にスピンもかかり、練習場では6Iでもバックスピンがかかるのには嬉しくなりました。
ミスに厳しいI-701Tourからミスに優しいZ-525へ。
やはりゴルフは道具でしょうか?(笑)
今年はちょっとだけゴルフを楽しんでみよう。
そんな気にさせた練習場でのひと時でした。
I-701Tourは一生の宝物の一つです。
また時期が来たら使いたいです。
4月26日(金)
昨日、一昨日と同友会札幌支部総会と札ベニ安衛会の総会と続けてありました。
1日目は札ベニ安衛会。
会場はルネッサンスサッポロホテル
毎回、挨拶の内容には悩むもの。
この日は挨拶を考えておらず、その場の雰囲気で内容を考え対処。
2日目は同友会札幌支部総会。
場所は京王プラザホテル
この日は挨拶がないのでリラックスをして望むことが出来ることはが有難い。
以前、1,500名の前で総合司会をした時には前日から緊張。
懇親会も終始、和やかに行われ楽しいひと時を。
新しい出会いもあり、有意義な日となりました。
二つの『総会』に感謝です。
年間、二、三十回程、人前で挨拶をする機会があるが何時までたっても苦手なものです(笑)
4月7日(日)
昨晩のTVで外国人によるのど自慢がありました。
世界中から日本の歌を愛する外国人を招き、日本への思いを歌で伝えてもらう 「SONG FOR JAPAN のどじまんザ!ワールド」という番組です。参加者20名から「世界一日本の歌がうまい外国人」が決定します。
私が『心をふるわせた』一曲はジャマイカから参加したゴスペルシンガーのジョン・ルーカス氏でした。
彼は牧師の父と教師の母から生まれ、少年期を少年歌劇団で過し、そして日本の歌に興味を持ち、大学生の頃に留学生として日本で生活をした経験の持ち主です。
ジャマイカにない日本の四季に憧れ、桜と春を愛してやまないそうです。
そんな彼が決勝戦で歌った曲が1971年にリリースされた、赤い鳥の「翼をください」です。
音楽の教科書にも載っていて、文化庁の「日本の歌百選」にも選定されている名曲です。
一度は合唱コンクール等で歌ったことがあるのではないでしょうか?
そんな名曲を彼は見事なまでに歌い上げたのです。
その歌声は讃美歌を聞いているような神々しさを感じるものでした。
残念ながら優勝には届きませんでしたがSONG FOR JAPAN特別賞を受けました。
審査基準は「もっとも日本を愛する心を歌声から感じさせてくれた歌」
http://www.pideo.net/video/youtube/74d751d99972838b/
番組を見終わった時、こんなにも日本を日本の歌を愛する外国の人々がいると感じたとき、とても嬉しく思いました。
戦後、強烈な反日国が存在し、その事によって相容れない感情をその国々に感じることがあるが・・・・。
険しい道ではあるが、仲良くしたいものですね。
そんな感情を与えてくれたジャマイカのジョン・ルーカス氏と『翼をください』という名曲に感謝です!
4月4日(木)
私が20代から通っている、大漁居酒屋『てっちゃん』。
知る人ぞ知る!刺身の船盛りと古き良き昭和の空間を感じる事が出来るお店です。
定休日は市場のお休みの日で新鮮さを大事にするお店でもあります。
そして圧倒的なボリューム!
何時までも、お店が繁盛して営業を続けて頂きたいお店です。
ん、褒めすぎ(笑)
4月2日(火)
3月8日に行われたWBC第2ラウンドの日本-台湾戦。
歴史に残る、名勝負でした。
そして、プレー以上に感動した出来事がありました。
一つ目は、日本人サポーターによる東日本大震災で多大なる支援を頂いた台湾への沢山のお礼のプラカード。
二つ目は、試合終了後に「日本おめでとう」と書いて日本を祝福してくれた台湾人サポーターたちの姿。
三つ目は、試合終了後の台湾選手達のマウンドでの円陣でのお辞儀する姿。
この事は『WBC台湾戦の奇跡、円陣お辞儀の秘密』としてネットで紹介されました。
今回のWBCには、その道程の中で決して忘れてはならない、魂のベストゲームが存在します。
それが今月8日に行われた日本×台湾戦でした。
9回2アウトまで追い込まれた日本の底力。・・・・そして逆転劇。
しかし、土壇場で勝利を逃し落胆しているはずの台湾ナインですが、
試合後、地上波では放送されることのなかった、ある振る舞いで日本人を驚かせました。
なぜかマウンドで円陣になり、スタンドに向かって深々と頭を下げる彼ら。
そして試合後に台湾のファンが掲げた旗には、「日本おめでとう」の文字が。
その謙虚さと息をのむ光景に何万人という日本人にが胸を熱くしました。
それは、まもなく震災から2年を迎える、今月6日のことでした。
一人の日本人がツイッターにこうつぶやきます。
「WBC、日本は初戦が台湾に決定。この試合を見に行かれる方、先般の東日本大震災への台湾からの多大な支援のお礼の横断幕やプラカードをお願いします。WBCを通じ、日本と台湾の信頼関係を深め、私達が本当に台湾に感謝している事を伝えて下さい」台湾からの多大な支援。
そう、意外と知られていませんが、
先の震災で世界最多となる200億円を超える義援金と、400トンを超える援助物資を送ってくれたのが台湾だということ。
そればかりか、震災の翌日に世界のどこよりも早く救助隊を派遣してくれたのも、また台湾でした。
「そんな台湾にお礼をしよう。」
WBC日本台湾戦の2日前にそう呼びかけたツイッターは、瞬く間に日本中に拡散しました。
そしてその展開は日本だけにとどまりませんでした。
台湾に感謝を示そうとした日本人の心が、翌日には海を超え、中国語に翻訳されて拡散され、台湾の人をも動かし始めます。
台湾の街角でも、何人もの人が中国語に訳されたあのツイートを。
こうして広がっていったやりとりは、台湾のマスコミにも取り上げられ、多くのことに知られることになります。
ただ、この時すでに来日していた台湾選手たちは、こうした盛り上がりを知りませ
彼らにとってWBCの日本戦はあまりに特別なもの。
台湾にとっての野球、それは日本と切っても切れない縁で結ばれたスポーツです。
そもそも野球は日本が台湾を統治していた時代に持ち込まれたものでした。
「職業棒球」と呼ばれる台湾のプロ野球チームは、現在4チーム。
監督やコーチ、選手など実は、多くの日本人が台湾野球の発展に力を尽くしています。
そんな日本は台湾の野球人にとって常にその背中を追いかけてきた父のような存在。
今や台湾で最も人気のあるスポーツとなり、紙幣の絵柄にも採用されるほどになった野球というスポーツ。
今回のWBCも各地で大型のパブリックビューイングが催され、2,300万人の人口の半数を超える1,200万人が視聴しました。
国際映像で流れる東京ドームの映像は、くしくも、日本にとっては台湾に感謝を伝え、台湾にとっては野球を教えてくれた日本と世界の舞台で戦える最高のステージとなっていたのです。
試合当日、スタンドにはツイッターの呼びかけ通り、「台湾に感謝」と書かれた色とりどりのプラカードが。
それが1枚や2枚ではありません。
プラカードの存在に球場で初めて気づいた台湾選手たち。
そんな中、始まった試合は、まさにWBC史上に残る名勝負となります。
およそ一世紀という時間をかけ、必死に追いかけてきた背中を越えようとする台湾と、その前に立ちはだかる日本。
その名勝負は夜23時半を超えても決着がつかず、いつしか敵と味方という立場も超えて、球場を一つにし、東京ドームにはウェーブが起こります。
そして日本が1点ビハインドで迎えた9回2アウト。
日本がついに同点に追いつきます。
そして、次の10回表ついに日本が逆転。
その裏、最後にはまるで高校野球のようなヘッドスライディングを見せる台湾選手。
しかし、追いかけてきた背中にあと一歩届きませんでした。
しかし、これで物語は終わりませんでした。
日本の地上波では放送されなかったシーンです。
喜びを爆発させる日本代表選手の後ろで、ベンチを出て行く台湾代表選手たち。
彼らは全員でマウンドに向かうと、360度、スタンドの全方向に深々と一礼をします。
「ホームグラウンドでもない私たちを日本のファンは応援してくれる。
…それに感謝したい
その姿に観客から惜しみない拍手が贈られます。
「礼には礼でこたえる。」
そうやって互いにリスペクトする関係が築けたこと。
あの日私達はそんな幸せな光景を目の当たりにしました。
感動をありがとう 謝謝! 台湾
4月1日(月)
日本や一部の国では4月1日が会計年度の初日である為、政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、個人レベルでも異動や新入学など大きな変化が起こる日です。
過去、多くの町が市制施行され、札幌市は1922年(大正11年)に市制施行されました。
そして1972年(昭和47年)には第11回冬季オリンピックが開催され、同時に政令指定都市へ移行しました。
小学生だった私もその二つの事がとても誇らしく感じたものでした。
4月1日の札幌には春がまだ遠いようですが何故か、春を感じて「ウキウキ」します。
そんなウキウキする感じを与えてくれるのが4月1日なんでしょうね。
3月27日(水)
中央大学の『白門』
駿河台校舎にあった白門を八王子キャンパスに移築したものだが。
今はひっそりと?ちょと目立たない場所に・・・。
歴史もあり威風堂々とした素晴らしい門なのにもったいない気がします。
中央大学を象徴して「白門(はくもん)」と呼称されることがあります。 「白」という色は、「正義」「潔白」「真実」「純粋」というイメージをもっており、それは「法」のもつイメージと重なって、中央大学の呼称として昭和初期には既に使われていました。
3月22日(金)
今週初めに所要で稚内へ。
途中の道道稚内天塩線沿いに幌延町のオトンルイ発電所があります。
南北3.1kmにわたって並ぶ風車は全28基あり、一基あたり750kW、総出力21,000kWを発電するそうです。
一年を通じて安定した電気をつくる風に恵まれていますが当日は立っているのがやっとの強風。
強風で車が蛇行することもしばしば。
海へ目をやるとしけで波で海が白くみえるほど。
幌延町は太陽光発電施設も多く、バイオマスエネルギー、雪氷エネルギーの取り組みでecoで自然エネルギーを重視しているイメージだが『高レベル放射能廃棄物』の地層処分に関する研究開発も促進しているそうです。
原発問題で揺れている日本だが放射能廃棄物の処分方法は重要な課題ですね。
3月16日(土)
鹿苑寺の敷地内にある内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿。
北山文化を代表する建築物であったが昭和25年に放火により炎上し、幾つもの仏像が消失しました。
現在の金閣寺は明治時代に解体修理の際に作成された旧建物の詳細な図面や写真・古文書・焼損材等の資料を基に昭和27年に3年を掛けて復元再建されたものです。
外観の金箔は昭和61年62年に10.8cm四方の金箔約20万枚(約20kg)を使用し、貼替え前の10倍の量で金箔の厚さは5倍でそれを二重に貼ったもので総工費は7億4千万円。
高校の修学旅行時、社会人に成ってから見た金閣寺は金箔の剥がれも多く、およそ金閣寺と思えないような感じでしたが沢山の税金を使われた値は十分にあったと思います。
私的にはキンキラに違和感を感じるが・・・(笑)
金閣寺は世界に誇れる素晴らしい日本建築でしょうね。
3月16日(土)
高校の修学旅行から幾度となく京都を訪れてみたが初めて世界遺産の仁和寺に行くことが出来ました。
いや、もしかして修学旅行で訪れたかも知れないが全く記憶に無い・・・・(笑)
金閣寺、清水寺と比較して、ちょっとマイナーなイメージがあるのか?
今回、札幌から一緒に行った京都出身の知人も初めて訪れるとのこと。
仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたものだが広大な敷地の中には金堂、五重塔、そして多くの国宝、重要文化財が知られてます。
日本の建築技術、美意識は本当に素晴らしいですね。
3月11日(月)
2011年3月11日14時46分、東日本大震災・・・・あれから。
今日は2年目という大きな節目の日ですね。
震災後に訪れた被災地での強い憤り・・・・。
2年が経ち政府の言う、復興とは何だったのか?未だ復旧の目処すら立っていないような?
新たに復興大臣となった福島県出身でボランティアで尽力されていた根本匠氏に大きな期待をしたいものです。
・・・・今日、14時46分に『亡くなられた1万5,881人の方々、行方不明の2,668人の方々、さらに自殺者を含める「震災関連死」2,601人の方々』に追悼の念で黙祷しました。
『 合掌 』
2月13日(水)
毎年恒例の社屋前のアイスキャンドルに灯りをいれました。
今年も社員が製作してくれました。
本当に有難いですね、感謝です。
平成25年1月1日(火)
あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
新しい年が皆様にとって佳き年でありますようにお祈り申し上げます。
11/30(木)
昨年は雪のホワイトイルミネーション。
今年は雨のホワイトイルミネーション、やはり雪景色の中で灯されるイルミネーションのほうが素敵ですね。
それでも綺麗です(笑)
6月23日(土)
恒例となりましたお客様感謝祭を行ないました。
当初、心配した天気も、とても良い天気に恵まれた感謝祭となりました。
お客さまも大勢来て下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。
焼き鳥も800本を用意していましたが、なんと午前中で完食、そして焼きそばまで完食で慌てて買出しに行った嬉しいハプニングもありました。
私も初めての経験ですが、午前中に行なったビンゴゲーム大会で、早々に5名の方がそろってビンゴになり、じゃんけんで順位を決めるというハプニングもありました。
一番の心配事の午後の餅まきも怪我無く、無事行うことが出来ました。
恒例になった包丁研ぎも大好評。
そしてLIXILさん、タカラさんの移動展示車のご協力も頂きました。
感謝祭にお越しいただいたお客様に、感謝の気持ちでいっぱいです。
来年もスタッフ一同、一生懸命がんばりますので、またいらしてください。
そして、一緒に感謝祭を盛り上げてくださった協力業者様に感謝です。
6月23日(土)
昨日は我が同友会の北地区会の2012年度方針発表会でした。
今期のスローガンは
「活き続ける企業集団(経営者)を目指す」です。
この経済状況の中、一社も倒れない、元気な企業、そして経営者になろうとの思いを籠めたものです。
私は30分の時間を頂き、今期の活動方針と昨年の活動のまとめをしたのですが、忙しさもあり、全てアドリブで行ってしまい、時間をオーバー。
CMじゃないけど事前の準備が必要ですね。
6月18日(月)
四半世紀以上お世話になっているジャパン建材さんが創業75周年。
先週の金曜日に担当のKさんが有難いことに記念のワインを届けてくれました。
2000年の時にも記念ワインを頂きましたが今も大事に保管しています。
今回頂いたワインも大事に保管し将来、ジャパン建材さんの方と思い出話をしながら頂きたいですね。
なんとラベルはジャパン建材さんの本社ビルの後方にスカイツリーが!
本社ビルが新木場なので東京湾から撮影するとスカイツリーが後方に写るんですね。