1月11日(火)

札幌市北区屯田には屯田兵の記念碑があります。

私が小学生の時に柔道を習っていた琴似武道館の横に屯田兵の住居が保存されていた事が思い出されます。

初めて屯田兵の住居を見たときには、あまりにも粗末な造りで冬などはとても寒そうで大変だったろうなと思ったものです。

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屯田兵は家族を連れて入地し、入地前にあらかじめ用意された家「兵屋」と、未開拓の土地とを割り当てられたそうです。

兵屋は一戸建てで村ごとに定まった規格で作られ、板壁の柾屋根(薄く割った板で葺いた屋根)の木造建築で、広さは畳敷きの部屋が2部屋、炉を据えた板の間、土間、便所からなり、流しは板の間あるいは土間におかれていました。

決して贅沢な間取りではありませんが、当時の一般庶民の住宅よりは良かったそうです。

もっとも、高温多湿の気候に向いた高床式の日本建築ゆえ、冬は寒さで非常な苦痛を強いられたそうです。

屯田兵の生活規則は厳しく、起床と就業の時間が定められ、村を遠く離れる際には上官へ申告をしなければならなかったそうです。

仕事は軍事訓練と農事のほかに、道路や水路などの開発工事、街路や特定建物の警備、災害救援に携わり、また、国内外の様々な作物を育てる試験農業の役目も兼ね、平時は徒歩憲兵に編制されるものと規定されていました。

 

北海道の基礎を築いてくださった屯田兵の方々に感謝をしなければいけませんね。